紀元前60~前30年頃、各地でいろいろな動きがありました。
出雲で「国引き(くにびき)」神話
①第4代出雲国首長のオミズヌ(八束水臣津野命、淤美豆奴神)が、ついに辰韓を旧秦民から奪い返しました。スガ(ソガ)王族の血を引くオミズヌによる辰韓奪回は大ニュースだったようで、朝鮮半島の歴史書である「三国史記」に「紀元前58年、倭人が新羅王になった」と記録されています。
そして、オミヅヌは辰韓のフテミミ(布帝耳、別名タキリ)を嫁にもらいました。フテミミ(タキリ)は安羅伽耶(あらかや、辰韓の南部)出身と考えられ、現在の多伎~荒茅(あらかや)・荒木に住んで子育てをしながら夫を助けました。
②さらに、オミズヌは新潟のあたりまで出雲国にしてしまいます。糸魚川の翡翠(鉄より硬い!)を材料にした勾玉が出雲で作られたり、新潟に出雲崎という地名があったり、出雲と新潟はその後も深い関係が続いたようですね。
なお、オミズヌが国土を広げた話は「出雲国風土記」の「国引き」神話に書かれています。神話といってもまったくの作り話ではないみたいですよ。個人的にはオミズヌを最初の(初代)大国主命としても良いと考えていますが、大国主命という名が出てくるのは40~50年後の話。
③紀元前後の頃には、オミズヌの後継者のフユキヌ(天之冬衣神)が、意宇(松江市)を中心とした環日本海連合「出雲王国」を確固たるものにしました。そして、毎年農閑期になると傘下の首長が出雲に集まり、灌漑事業、銅製品の鋳造、鉄加工(鍛冶)、勾玉工芸など最先端技術を習得しました。
そこでは毎晩のように酒を飲みながら、
首長A「今年の農作物の出来はどうじゃった?」
首長B「雨が少なくて水が足らんけぇアカンかったわ」
など意見交換され、銅鐸や銅剣をカンカン鳴らしたお祭りが行われたことでしょう。これが、出雲地方で10月を「神在月(かみありづき)」と言うようになった理由です。
*次の大国主の時代には、斐伊川・神戸川流域(出雲市)でも大規模な灌漑事業や祭りが行われるようになりました。
長浜神社
ご祭神はオミヅヌとフテミミ(タキリ)。国引き神話によると、オミヅヌは綱を使って土地を引き寄せたとのことで、「綱引き」から転じてスポーツ上達・勝利の神様として有名です。豊臣秀吉の朝鮮出兵の折、加藤清正が参拝した記録が残っています。
長浜神社は2015年にソフトバンクのCMで撮影地になりました。ソフトバンクのCMといえば、「島根のおじさま」のシロイルカが登場し、しまね海洋館アクアス(浜田市)がブームになったこともあったなぁ…
色鮮やかな小さくて丸いロウソクに火をつけて、水に浮かべて献灯してからお参りします。
毎年10月上旬にジャンボ綱引き大会があるそうです。
看板の絵は、出雲市出身の漫画家 故 平野勲さんの作品。