熊野で「八咫烏(やたがらす)」神話
オミズヌ(八束水臣津野命、淤美豆奴神)とフテミミ(タキリ)の間に生まれた子の中にかなりの傾奇者がいました。その名をカモタケツノミ(賀茂健角身、別名アジスキタカヒコネ)といいます(前回登場したタキキの兄)。
カモタケツノミ(以下、ツノミ)は、自分が変わり者だから出雲国首長を継承できないと知って、もしくは継ぐ意思がないので、雲南市加茂町にいた賀茂氏を連れて熊野へ行きました。
*加茂町といえば、加茂岩倉遺跡。一か所から出土した銅鐸の数は全国最多(銅鐸は国宝に指定)。近くには荒神谷遺跡があり、古代における出雲の力が絶大だったことを証明している。
ツノミはなぜ熊野へ行ったのか?一つは、偉大な先祖のスサノオ終焉の地であること。もう一つは、纒向(まきむく)の中心人物がスサノオの孫のオオドシ(大年神)だったことが考えられます。
ツノミがあまりにも傾奇くので、
フテミミ「あんた熊野に行って修行してきなさい。それと、オオドシおじさんによろしく伝えてね。」
とでも言ったのでしょう。
(「その3の②」参照)
ツノミ達(賀茂氏御一行)は、纒向へ挨拶に行ったあと、熊野の山奥で修行をしながらスサノオ信仰の聖地を守ることになりました。
ツノミ達は黒装束で、木から木へ飛び移り忍者のような軍団であったことから「八咫烏(やたがらす)」と呼ばれていたと考えています。神武天皇(本シリーズでは崇神天皇)の纒向入りを手伝ったあと、山城国(京都)へ移り住みました。
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