2024年、元日に能登半島地震が発生。
1週間経った現在でも行方不明者が多数あり、大変心配な状況です。
被災された皆様には、心よりお見舞い申し上げます。
災害の影響を強く受けた石川県珠洲(すず)市は、出雲地方とご縁があります。
『出雲国風土記』の「国引き神話」に珠洲市が登場するのです。
くにびき神話
意宇(おう)と名付けられたわけは……
昔、八束水臣津野命(ヤツカミズオミヅヌノミコト)が出雲の国を見て、「八雲立つ出雲の国は、細長い布のように小さく幼い国だ。どこからか国を引いて来て、縫いつけることにしよう」 とおっしゃいました。
海の向こうの新羅(しらぎ)の岬を見ると、国の余りがありました。そこで、大きなスキを手にとって、大きな魚の身をさくように新羅の土地を切り離し、三つ撚りの強い綱をかけ、霜枯れた葛(かずら)を手繰るように、また河船を引くように、そろりそろり「国来(くにこ)、国来」 と言いながら引いて来て、縫いつけた国が杵築(きづき)の岬(日御碕から平田市小津のあたり)です。引き寄せた国を固めるために立てた杭が佐比売山(三瓶山)になり、引いた綱は園の長浜になりました。
同じようにして、隠岐や良波(よなみ)の国を引いて来て、縫いつけた国が狭田(さだ、松江市の佐陀付近)や闇見(くらみ、松江市本庄町付近)の国です。
最後に、高志(こし)の都都(つつ)の岬を引いて来て、縫いつけた国が三穂の埼(美保関)の国です。このとき引いた綱は夜見島(よみしま、弓ヶ浜)になり、国を固めるために立てた杭が伯耆国の火神岳(ひのかみのたけ、大山)になりました。
そして、八束水臣津野命は「今、国引きを終えたぞ」と、意宇杜(おうのもり)に杖をつきたて、「意惠(おえ)」とおっしゃいました。それで意宇(おう)といいます。
八束水臣津野命が最後に引き寄せた「都都」が「珠洲」であり、これを縫いつけて美保関ができたと書かれています。
そういったご縁で、昭和63年に旧美保関町と珠洲市は姉妹都市提携を結び、平成24年には松江市と「災害時相互応援協定」を締結したそうです。
早速1月4日から松江市役所には珠洲市支援のための義援金箱を設置し、5日から、松江市が代理で(ふるさと納税を通じた)珠洲市への支援寄附金受付を開始しました。
珠洲市では、一昨年6月(震度6弱)と昨年5月(震度6強)に続けて大地震があったことは記憶に新しく、これ以上地震が続かないことを願っています。そして、被災された皆様が安心して暮らせるように、一日も早い復興をお祈りいたします。
IPT鍼灸院 院長 藤原淳詞
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