島根県立古代歴史博物館において企画展『山陰の戦乱―月山富田城の時代』が開催(10月11日~12月8日)されています。
以下、島根県立古代歴史博物館公式ウェブサイトの企画展紹介
(https://www.izm.ed.jp/cms/cms.php?mode=v&id=424)より引用
山陰の戦乱-月山富田城の時代-
「山陰屈指の名城、月山富田城。この城が出雲国の中心であった16世紀は、日本列島全体を覆う戦乱の時代でした。富田城の主が尼子氏、毛利氏・吉川氏、堀尾氏へと移り変わる中で、山陰地域は熾烈な戦いの舞台となり、織田信長や豊臣秀吉による全国的な戦いの影響も及ぶこととなります。
月山富田城が見届けた戦乱の時代とは、どのような時代だったのでしょうか。本企画展では、戦いのあり方を物語る武具や武器、戦乱の痕跡を土地にとどめる城、当時の人々が残した城下町遺跡の出土品、戦いの様相を記す古文書など、多様な作品・文化財を通して、戦乱の時代に向き合った山陰の人々や地域の姿に迫ります。」
月山富田城といえば、山中鹿介(やまなかしかのすけ)、別名・山中幸盛の名前が思い浮かびます。彼は、尼子再興のために「願わくば、我に七難八苦を与えたまえ」と三日月に祈ったことで知られる武将です。
鹿介の兜(かぶと)は、ニッカウヰスキーのシンボルマークに描かれており(右図の黄色部分)、これは創業者の竹鶴政孝氏がデザインしたものだそうです。
(https://x.com/nikka_miyagikyo/status/1819194509634556335参照)
そこで、月山富田城や山中鹿介への理解を深めるため、武内 涼 著『謀聖 尼子経久伝』を取り上げます。
本書の主人公の尼子経久(あまこつねひさ)は、山中鹿介の祖父(山中満盛)や、祖祖父(山中勘兵衛勝重)らと共に戦い、下剋上によって日本最大の大大名に成長しました。戦国時代の尼子経久と出雲国を知ることで、誰もが「出雲って、昔はそんなにすごかったんだ」と驚くことでしょう。
次回から、『謀聖 尼子経久伝』(全四巻)のあらすじと、登場人物たちを時系列に紹介します。
IPT鍼灸院 藤原淳詞
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