1 青雲の章<1474~1486年、経久17~29歳>
尼子経久は、応仁の乱(1467-1477年)で壊滅的な被害を受けた京都での体験を通じて、民を大切にした平和で豊かな国づくりを決意しました。
1479年、出雲に戻って家督(守護代)を継ぐと、民の税を減らし、田畑や河川の整備といった公共事業を積極的に行いました。その結果、金銭的な余裕がなくなり、経久は御屋形様(京極政経、守護、京都在住)に公用銭を一銭も納めなくなりました。
激怒した京極政経は、塩冶掃部介に「経久の態度次第では首を取れ」と命じて出雲へ送りますが、経久は動じるどころか「自分がこの世を変えて、天下を取る」と塩冶氏に言いました。つまり下剋上を宣言したのです。
後日、京極政経が出雲にやって来ると、尼子一族は捉えられて月山富田城から追放されてしまいます(1484年)。
ところが、経久は、ひそかに山中勘兵衛や鉢屋衆などを味方につけて、1486年元旦の奇襲作戦で月山富田城を奪還しました。
この山中勘兵衛という人物は、有名な山中鹿介(別名は山中幸盛)の祖祖父とされています。山中氏は宇多源氏の血を引く尼子氏の同族であり、勘兵衛は尼子の重臣でした。
彼は深い智慧を持ち、長身で棒術(六尺棒を操る)に優れていましたが、物をハッキリと言い過ぎるため、尼子清貞(経久の父)に嫌われて富田城を追放されていました。
経久は、富田城の奪還とその後の国作りには勘兵衛が必要と考え、隠居していた勘兵衛を説得して重臣に戻ってもらいました。
また、全巻を通して、要所要所で伊勢新九郎が登場します。経久が京都で暮らしていたとき、饅頭屋で出会った毬栗頭(いがくりあたま)の奇妙な小男が新九郎でした。
彼は和算に長けており、民を守るための金貸しをしていましたが、その出自は武家(平氏)ということがわかりました。この新九郎が、のちに坂東に下剋上の旋風を巻き起こし、東の地に後北条家を創設する北条早雲となったのです。
経久は、伊勢新九郎に「お主が東を、俺が西を。二人で天下を二分し、またこの地で会おう」と約束しました。
本書には難しい漢字や歴史用語が多く含まれており、辞書を引きながらでないと読み進められませんでしたが、内容がとにかく面白いことから苦ではありませんでした。
群馬県生まれの著者が、出雲地方の歴史や地理、ひいては各地の国人(領主)についても詳細に調べて書き上げた超大作です。
主な登場人物:
1-1尼子経久(あまこつねひさ、元服前は尼子又四郎、1474年に家督を継いで出雲守護代になった)
1-2亀井永綱(かめいながつな、亀井の爺と呼ばれる経久の重臣)
1-3塩冶掃部介(えんやかもんのすけ、経久の幼なじみ)
1-4京極政経(きょうごくまさつね、北近江、出雲、隠岐、飛騨の守護)
1-5蛍火(けいか、経久の初恋の人)
1-6伊勢新九郎(いせしんくろう、1475年に経久と天下を二分する約束をした、のちの北条早雲)
1-7尼子清貞(あまこきよさだ、経久の父、出雲守護代)
1-8尼子久幸(あまこひさゆき、元服前は尼子源四郎、経久の弟)
1-9牛尾三河守幸家(うしおみかわのかみゆきいえ、豪傑な武士、尼子家臣)
1-10三沢為信(みざわためのぶ、奥出雲の国人、尼子家のライバル)
1-11河副常重(かわぞえつねしげ、尼子家臣)
1-12山中勘兵衛(やまなかかんべえ、別名は山中勝重、出雲一の策士、尼子家臣)
1-13真木上野介朝親(まきこうずけのすけともちか、経久の叔父、弓の名手)
1-14厚東久盛(ことうひさもり、のちの河副久盛、槍の名手、もとは長州浪人、尼子家臣)
1-15吉川経基(きっかわつねもと、安芸の国人、鬼吉川と呼ばれた猛将)
1-16鉢屋衆(はちやしゅう、山陰地方を拠点とする忍者一族)
1-17鉢屋弥三郎(はちややさぶろう、鉢屋衆の棟梁)
1-18笛師銀兵衛(ふえしぎんべえ、百の顔を持つ鉢屋衆最強の忍者)
1-3-2塩冶掃部介(1486年元日、月山富田城を奪い返しに来た経久との一騎打ちで討ち死に)
2 風雲の章<1486~1488年、経久29~31歳>
出雲守護代の尼子経久は、安芸の吉川家から妻を迎えました。婚儀には、伊勢新九郎(のちの北条早雲)も京都から駆け付けました。
落ち着いたところで、経久は三沢為信(尼子家のライバルである三沢家の当主)を討つため、山中勘兵衛を一旦尼子家から追放し、三沢為信の直臣とさせたあと、月山富田城攻めの際に裏切らせる計画を立てました。これが成功し、三沢家七手組と呼ばれる強者たちとの戦いに勝利したことで、1488年に三沢家は尼子家の傘下に入りました。
経久の義父となった吉川経基は、応仁の乱で東軍最強の勇将と恐れられ、「鬼吉川」や、全身傷だらけだったことからや「俎板(まないた)吉川」と呼ばれた安芸の闘将でした。経久は17歳(1474年)の時に、京都での初陣(相国寺の戦い)で一度だけ吉川経基と会ったことがあります。
吉川経基の娘、さな姫はとても気が強く、経久と互角に戦えるほどの薙刀(なぎなた)使いでしたが、経久に惚れて自ら嫁ぐことを決意しました。経久も、さな姫を生涯にわたって(側室を持つことなく)愛しました。
さて、本書では度々「ぼてぼて茶」が登場します。出雲地方のお茶の習慣は、一般的には松平不昧公に関連付けられることが多いのですが、著者は、戦国時代に出雲で茶作りが奨励され、経久が「ぼてぼて茶」を広めたと考察しています。
主な登場人物:
1-1-2尼子経久(出雲守護代)
2-1さな(1-15吉川経基の娘、経久の妻)
2-2野沢大学(のざわだいがく、1-10三沢為信の軍師、もとは信濃の浪人)
2-3下川瀬左衛門(しもかわせざえもん、三沢家七手組の一人、大薙刀の使い手、もとは鰐淵寺近くの地侍)
2-4星阿弥(しょうあみ、1-16鉢屋衆、暗記の達人)
2-5香阿弥(こうあみ、1-16鉢屋衆、匂いで惑わす達人)
1-6-2伊勢新九郎(のちの北条早雲、1487年に1-16鉢屋衆と同族だった風魔衆を連れて駿河入り)
2-6山中満盛(やまなかみつもり、1-12山中勘兵衛の息子、尼子家臣)
2-7松田満重(まつだみつしげ、十神山城の城主、1488年に尼子家臣になった)
2-8亀井淡路守(かめいあわじのかみ、1-2亀井永綱の息子、尼子家臣)
1-12-2山中勘兵衛(1-10三沢為信の直臣になった2年後に、三沢の尼子攻めで裏切る、三沢軍は壊滅した)
2-2-2野沢大学(1488年、三沢の尼子攻めで、敗走中に討ち死に)
2-3-2下川瀬左衛門(1488年、三沢の尼子攻めで1-14厚東久盛に討ち取られた)
2-9河副久盛(かわぞえひさもり、1-14厚東久盛が1-11河副常重の娘と結婚して婿養子に、尼子家臣)
IPT鍼灸院 藤原淳詞
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